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〓 人の死というものをいたく考える 〓

  • 執筆者の写真: Jun Okayama
    Jun Okayama
  • 2 日前
  • 読了時間: 2分

死という事を考える。自分の年齢がそうさせている所もあるのだと思う。今年で45歳。中年のど真ん中に差し掛かる年齢になり。両親も70をゆうに超えている。

つい先日、親戚の叔父さんが亡くなった。北海道の親戚が方々から集まり弔っていた。

人は必ず亡くなる。

12年前、東京で、人工知能の走りに携わっていた頃、もう既に不老不死が叶っているのではないか、と思った。

少なくとも我々が亡くなる50年後には、この世には、死など存在せず、永遠の存在としてデジタル上に人工知能として生きながらえるのではないか、とも思った。

だがしかし翻って。そんなものは幻想だと気がつく。

人は、必ず、亡くなる。

それも、アリやハエと同じようにある時フッと亡くなってしまう。

両親はおかげ様でまだ元気にしているが、必ず自分よりは早い未来に、お迎えが来るのだと思う。高齢でどんどんと弱ってきている事を身に沁みて感じている。

父さんも、母さんも、生きている間に、どういう終末にしたいのか、亡くなった後、どういう世界を残したいのか、

彼ら彼女らの意志を尊厳を尊重して、最高の人生であったと言えるように終末を迎えられる様に準備しておきたい。

それを言葉では、"終活"と言う。

昨今、縁あって、この"終活"と向き合う事が多くなった。

10年前には考えられない、全く興味が持てなかった分野でありますが。(今も特段興味に満ち溢れている訳ではありませんが)

特に、独り身のご老人が多くなっている昨今の日本。

身寄りのいないご老人はさぞかし亡くなる事への不安大きく持たれているのではないかと察します。

そんなご老人に寄り添える社会の実現は、もしかすると、

今後の日本の、ひいては (課題先進国である日本の課題は将来の世界の課題と言われますから) 世界の課題解決の一助となるのかもしれません。

世界の"終活"のスタンダードは把握出来ておりませんが、少なくとも日本の"就活"のスタンダードは抑えさせて頂いて来ております。

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日本の常識は世界の非常識ですから、世界は全く異なる風習である様な気が致しますが。

"日本の終活"を思って。

これだけのご高齢者の物凄く多くおられる我が国日本を翻って。

何があれば良いのか。何が大切なのか。

思いながら日々を、爆速で、生きております。

※人の死 や 終活 に関して関心のあられる方ぜひ個別でもご連絡くださりますと。 NeonFuture

〒063-0035

北海道札幌市西区西野五条八丁目

岡山  潤

 
 
 

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